【FF14】このゲームってさ、パッチで追加されるエキID、アレキノーマル、24人レイドに極蛮神ですら、前パッチ装備でよゆうでクリアできるんだよね
2016/12/14
518 名前:非常に遅くて名無し 日時2016/08/30(火) 18:28:04 ID:U0MTc0OTE
このゲームってさ、パッチで追加されるエキID、アレキノーマル、24人レイドに極蛮神ですら、前パッチ装備でよゆうでクリアできるんだよね
パッチで追加されるトークン装備(トークン強化装備)頑張って揃えて何処に行けばいいのかね?
零式以外で
っていう、4.0でもノーマル続投で、零式過疎確定した愚痴
520 名前:非常に遅くて名無し 日時2016/08/30(火) 21:12:36 ID:kwNDc4MTE
※518
それ、あくまできっちりかっちり動ける前提だからな
少なくとも余裕じゃないし、かなり緊張感のあるプレイを余儀なくされる
ちょっとやそっとのミスをカバーできるように、クリア水準より10でも20でも上げたいんだよ
全員が100の装備で100できるわけじゃないからな
521 名前:※520 日時2016/08/30(火) 21:15:19 ID:kwNDc4MTE
っていうのを、今日は火力を捨て、回復力の乏しいヒラの負担減らしつつ、あろうことか未強化禁書で来やがったDPSを介護しつつ、結局極ロトがクリアできねえよ!
って愚痴
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コメント
理由なんていくらでもあるわ
装備それ自体に意味はなくパラメータが形を変えたものでしかない。
いつになったら囚われるのをやめるのか?
あと零式過疎ったのはノーマルのせいって言ってるのもよくわからん
煽りじゃなく、よく14やってんね?
RPGのつもりでやってないとかならまあ…
ってか煽りじゃなく※5のいうRPGってなに?自己強化していって先に進むのRPGってのが多いとおもうんだが
いや逆よ。
装備を揃えてPCを強化し、強敵に挑むのが楽しいってことなら14は全然そうじゃないだろうってこと。別にそれが悪いって意味じゃないけど。
ついでに言えば俺自身も、RPGを「レベルを上げて装備を揃え、ラスボスを倒すゲーム」だとは思ってないけど、それは今回は関係ないな。
自分のPSやらリアル事情やらを慮って
この辺でいいかなって妥協するのはそう悪いことでもないとは思う。
世間ではそれをライトちゃんと呼ぶんだろうが。
ちゃんと身の丈わきまえてるから勘弁してくれ。
それに装備変えたら与ダメ増えたとかクルセしても余裕になったとかが楽しくないとレイドのモチベーションもたないと思うんだが
装備の面で言えば、強敵に挑むときに必要なのは入場最低ILだし、それを倒すときに必要なのは「入場最低IL~そのパッチで規定された最高IL」の間のどこかの地点でしょ?
いずれ到達する最高ILまでの間にじわじわ上がるIL・ステ・与ダメや回復量を眺めて楽しむってのもわからん話じゃないけど、それよりコンテンツ内で頭捻ってる間のほうが明らかに比重大きく設定されてない?
よくIL制批判の文脈で出てくる、14は装備に幅がないからつまらないっていうのは、尤もでもありナンセンスでもある。
装備は入場券であり、あとはPS・知識・やり方次第で結果は大きく左右され、それに比べれば装備の与える影響はごくごく僅かなものであるってのが14のいいところだと思うわけ。
ILを最大の要素として、装備から個性はかなり排除されてるんだしね。
クラフトもしかり、装備整えて上位のものを作る
本質的なところは今も昔も変わってないと思うけどなー
それなら現行パッチ追いついてる人と変わらないと思う ペースが違うだけ
「ILの高い装備はより強い」という本質は残っているけど、比重はどこまでも軽いって話。同IL装備の差は入手ルートくらいだし。
サブステも一応存在はするが、それを個性(≒楽しみ)として確立させるつもりなら、そもそもILの差をサブステで覆す装備の類を残しておいたはず(いまや受け流しが絡まない限り存在しないし、それも風前の灯火)だし、同ILのサブステ違いがもっと数多く存在していいしね。
もう一度言うけど、それでもIL上がってうれしいってのを否定はしない。でもそれは、14って食材の中じゃ旨味の物理的に少ない部分で、もっと旨味の豊富なとこ使えばいいのにってこと
お前、自分が反論されたりわるかろうされてる理由分かってないし下手したら理解する気すらないだろ
比重の軽重はお前の言う通りだけど、それは議題の軸じゃない
お前の物言いが「軽い方なんだからそんなものを楽しむのはおかしい」みたいに、
他人の楽しんでる部分を否定してるからだよ
仮に人に勧めるとなったときに14は装備更新が楽しいんだぜ!とは言わんでしょ。そこが目的なんだったら他のタイトルのほうがいいんじゃないか?
14における装備はILという条件であって、それは楽しみとしてはおおかた切り捨てられてる部分。装備更新が最大の楽しみといって選ぶRPGとしては矛盾があるだろう?
※3は「RPGは装備更新が一番楽しい」って言ってるだけでFF14は装備更新が一番楽しいとは言ってないと思うよ
ただ元の愚痴が装備更新についてだから、そこに言及してFF14をプレイする上では装備更新は楽しんでるよっていう風に自分は読み取ったな
個人的には装備更新も楽しいけど、※15の言う通り他の部分で14を満喫してるよ
だから落ち着いて、一緒にモーグリのポンポンむしりとろ?
わるかろう君はどうしてそこまで装備更新する楽しみってのが14にはないって言いたいんだろう?
次のパッチのコンテンツにその装備で行くんだろ?
装備集めなかったら、次のパッチが来た時に前パッチ装備がなくてコンテンツ行けないだろ
先を見据えないやつは、貯金とかしてなさそう
装備更新する楽しさってのもあるとおもうけどなあ
だからの※5なんだが。14をRPGとして遊ばないならわかる話だが、そうでないならちょっと理解に苦しむ。
そもそも「RPGでは装備更新が一番楽しい」というスタンスで14に臨んで、それを満たされているんだろうか?パッチ跨ぐくらいにIL上がらないと戦術上の影響なんてそうそう出ないだろ?フライテキストが大きいとそこまで嬉しいかなあ・・・
※18
14の装備に頭捻るほどの選択肢ないでしょ。
明らかに切り捨てられていると思える根拠は既に書いてあるが、そうまでして装備という要素に執着する意味のほうこそわからないね。
ここはこの部位とったほうがいいだとかアクセにはVit振った方がいいなとかその程度でもいいんだって。
メインは敵を倒すためなんだから。
ボスを倒す、という「目的」のために
DPSチェックなりHPチェックなりを突破するための装備を集めるという「過程」を楽しむ訳ですよ。
装備更新するためにやるんだったらそれは目的と過程が逆転してるだけ。
まぁ実際そういうプレイスタイルの人も多いし、日本で運営してるネトゲじゃそのゲーム性が逆転してる物が多いのも確かだが。
RPGとしてってなんだよ?w
ロール・プレイング・ゲームだぞ
14って光の便利屋が世界を救うかも!?ってゲームじゃないのか?
この手のRPGの本質は自身が成長して壁を乗り越えるって部分だと思う
装備更新が1番かっていうと人それぞれだけど
LVがあがって上位装備になって強くなるとか
蛮神倒して武器を手に入れる、早期攻略してアレキ装備を手に入れる等
成長を感じたり達成感を得られる大きな要素だよ
あなたがどう考えるかは自由なんだけど
他人の考えをそこまで否定する必要はないでしょ。
あなたは自分の考えを押し付けてるだけ。
他の人も自分の考えを言ってはいるけど
あなたに押し付けてるか?
装備更新が一番楽しい、だなんて目的化してなきゃ出てこないと思うけどな。というか、その目的化に対応した作品がJRPGには多いし、それが好きだって向きもわかるよ。
そのつもりで14をやるってのがナンセンスだと思うだけで。
あと右穴にVIT刺すかサブステ入れるかって、それもう選択肢として十分機能してるとは言いづらいよね
まずシナリオの構造とRPGかどうかって話は全然関係ないよ。
「RPGは装備更新が一番楽しい」というのは14を辞める動機には十分以上になり得るけど、遊んだり続けたりする動機には結び付きにくいと思うな。
14の成長スケールって、プレイヤー自身の習熟に拠るところが大きく、キャラクターの成長の占める割合はごく僅かだろ?
レベルキャップ到達後に始まるようなものなんだから、レベリングの途上は欠けたスキルを埋めていく行為に過ぎないわけだ。だからこそキャップ前の装備更新は面倒くさいとまで言われたりする。それは最大の楽しみだったのではないのか?頻度が高いことを喜ぶべきなのでは?
重要なのは、「14」は「RPG」であり「装備更新を一番の楽しみとする」というスタンスは現状とデザインを踏まえると、どう考えても矛盾しているってことなのよ。
だからこの話は「よく14やってんね?」で始まるんだ。
まあ、はっきり言っちゃうと※3は単に自覚が足りないんだと思ってるよ。いろいろな楽しみ方があるのは当然だ。むしろ、自分でそれを「装備更新」という建前に固定しちゃうことこそがおかしい。それは多くのRPGに適用できるけど、例外も決して少なくないし、それ自体が質の上下を決めるわけでもないんだから。
こういうやつって何で100か0しかないんだ?
何を理解してないのか書いてもらえる?
人それぞれいろんな楽しみ方があることくらいは前提に据えてあるよ。それで話を終わらせようという気がないだけで。
※28にも書いたけど、自覚と分析が足りないからそういう間違った主張をしてしまうか、あるいは言語化に失敗してるんじゃないか、と思ってるところ。
自分が絶対正しい、レベルが高いって考え譲らない辺り、
お前遅報名物起動ちゃんじゃね?
認識に限ってはより詳細で確度が高いだろうという自負はあるよ。どうあれ装備に関して14がウェイトを割いていないのは事実だし、明らかに軽んじられてる部分を楽しむというのは限られたニッチで、一般的では決してない。
だがRPG全般においては、装備の目的化というのはむしろ多数派・一般的で馴染み深いため、それをあやまって14にも適用しているんだろうな、と考えている。
変なもん名物にすんなよwwww
マイノリティだとどうなの?
14は装備更新の楽しさにウェイトが置かれたデザインになるの?
ちょっとあまりに乱暴じゃないか?それは。
「14は装備更新が面白いです!」
「何が変わるんですか?」
「攻撃力、防御力、HP、MP、ヒール力、命中、クリティカル発生、倍率、1ターンの速さですね」
「他には?」
「ないです」
「回避率は?」
「ないです」
「スキル性能が変わったりは?」
「ないです」
「状態異常付与や耐性は?」
「ないです」
「動きは…」
「ないで…」
「作戦…」
「ない…」
「比…」
「な…」
ただ、例えばレイド攻略する過程での装備更新やアレキガチャで自分の装備が出て理想装備に近づく瞬間が楽しいって人もいるわけだから頭ごなしにその辺否定するお前の意見の方がよっぽど乱暴だってこったよ。
例えば俺なんかはACTで自分のDPS値が高くなっていくのが楽しいから14やってるわけだが、立ち回りの改善やらは当然として、その為の装備が取れたら嬉しいし楽しいんだが、おかしいかね?
後、別にマイノリティじゃ駄目だとはいわねーが、その意見をさぞ「正しいです」なんて面で語り続けられるのが理解できん。
この話はそれで収まることなのに、なぜ自分の考えと違うからって
おかしいおかしいと連呼するためにレスを続けるのか。
わるかろうが減ってるのは、単に記事を見なくなってるのと呆れて放置されてるだけだと思う。
それこそ誰も言ってないし否定もしてないんだけど、なんでそんな妄想抱えて反発してくるの?それはこっちの責任じゃないよ。壁でも殴っていてくれ。
ただ14の装備っていうのは明らかに要素をスポイルされてる部分であることを理解してれば、そこが楽しいとはそうそう言い出さないと考えられるし、そういう人が多いのは、旧態依然のRPGとの差異を理解してないか、言語化できてないか、そのあたりだろうってこと。
あるいはデザインの失敗と言ってもいいかもね。IL制への批判は今でも見られるし。
ところで、主張の内容から、対象への理解と認識の度合いが判断できるのは当然だと思うんだが。
もう書いたことだけど、そこで収めようと思ってないからだね。別に無理して付き合ってくれなくてもいいよ。
出るとこ出たら袋叩きに合うほど酷いというか、抑圧的というか、差別的というか、そういう物言いだと思うよ。
誰も反論できなかったから、俺のレスが最後になったんだって感じでさ。
装備更新が一番の楽しみだってことに妥当性があると思うなら反論したらいいんじゃないか?
こっちが言ってるのはまずデザイン上、それは考えづらいということと、実際に要素は少なく、差が反映される部分も小さいということだ。それでも一番の楽しみと呼べるだけの根拠があるなら聞いてみたいね。
君のコメントについてるわるかろうの数で十分じゃないかな(笑
やっぱり誤解があったみたいね。
いくらある理屈が妥当であろうとも、そのことによって誰かの感情が否定されるということはないし、逆に、感情的に受け入れがたい理屈も、そのことによって正しさを否定されることはない。
この票が意味するところはあいまいで、理屈が正しいのか、感情が同意するのかを区別する機能はないと言える。
つまり、何の根拠もなく反論は不可能だが、感情的に納得いかない、ということを示されたという事実に、こちらがどういう意味を見出すかによるというわけだ。
加えて、こちらは同意を買う必要はない。正誤を問うているからね。
マイノリティに属することを承知することは、具体的にはどう振舞うということなのか?
答えは、そのことによって振舞い方を変える必要はないということだ。それを要求するのは差別だからね。そういう差別的な考えを持っているなら自覚しておくべきだよ。
・※3の言うように、14は装備更新が一番楽しいと言えるデザインや仕組みではない
・このような誤解が生まれる理由は、14のシステムへの無理解、一般的なRPGデザインとの混同、各プレイヤーの自身のプレイスタイルに対する自覚と認識の不足である
ちなみに※16の言う、「※3はRPGで一番楽しいのは装備更新だけど14で一番楽しいのは装備更新と言っているわけではない」という内容は、※3がここでわざわざ書き込むにしてはあまりにも文脈を逸脱しているため、考慮の外とする。
まさか14終了まで、この記事に書き込むの?
それとも、俺のレスが最後になったら
満足するの?
× 俺の
⚪連投と自己主張をしてるあなた
妥当性のある反論が見受けられないことをもって、消極的ながら自説の補強とするのは可能だよね。
ある説が正しいということと感情的に受け入れられるということは別だし、納得して賛同する人がこの場にいないとしても、※47を否定する材料はないわけだ。
※3は14に当てはまらない「嘘」なので、それを喝破したこと、嘘を支持するのはどういった人々なのかということを残せたと思うし、ここで終わりにしても構わないよ。
もし反論が書かれたのを見たら、それについてまた何か書くかもしれない。
他人の意見を受け入れ理解する。その上で自己主張をするのがマナーであり、当然の礼儀とも言える
前に肯定する言葉を付け加えることは「イエス・バット法」と呼ばれ、否定をやわらかい印象にする効果があります
否定的な言葉を出してしまいたくなったら、ぐっと飲み込んで相手の良いところに目を向けるようにしましょう
理屈の上で正しくないならば、より正しい反論が行われる余地があって然るべきだし、それを待っているところなんだけど。
相手を思い遣って否定をやわらかく、というのは対話における処世術ではあっても、論の正誤とは何の関係もない。
どの道この場の誰にしても、誰の立場を慮る必要もないでしょ?
お互いに気持ちよく会話を終わらせるということを目的に据えてはいない。「支持している説が間違っているために弱い立場である私たちも、せめて気持ちよくさせてくれ」という要請なら断るよ。
というより、例えばどこのことを「価値観の押し付けである」と思うのか?14のデザインに関して、間違った評価を下したろうか?
彼らが質問を投げかけるのは、相手が自分の理解の範疇に収まることを確認し、安堵したいがため、もしくは、相手の失態を暴きたいがためです。質問への回答が「たいしたことのないもの(自分の下賎な理解に即するもの)」だったり「(彼らにとって)明らかに矛盾するもの」だった暁には、彼らは瞬間的に勝ち誇ります。
彼らは慇懃無礼なことばづかいをすることが多いので、質問もスルーしにくいです。スルーすると、「あれ?無視されちゃいました^^;」とわざとらしくアピールするので、実に嫌らしいです。
この種の人が欺瞞に満ちあふれている理由は、質問する動機が「相手が自分より劣っているものであることを確認したい」「相手の失態を暴露したい」という想いにあるからです。
どんな理由であれ、相手を尊重する気持ちが欠いている人とは、生産的な議論ができるわけがありません。議論をする際は、フラットな立場で話しあうようにしましょう
当然ながら、互いに同じ立場で、より高次の結論を導き出そうと議論しているわけではないからね。
こちらの目的は※3に示された「嘘」を否定することだ。
嘘ではないといえる理由を示せばいい。
再三になるが、※47の2点について明確な根拠に基づいた反論をすればいいのでは?なぜ迂遠にも心構えを説いたり、譲歩を乞うたりしなければならないのか?
この態度は、新しいことを始める際には大きな害悪になります。新しいことを始めるということは、時に十分な根拠を用意せぬまま、走り出すということです。
残念な人たちの目には、こうしたやり方は「早計」としか映りません。それが失敗したときには、「準備不足が失敗の原因だ」「やはり失敗した」と、彼らは安全地帯から勝ち誇ります。
しかし「始めてみないとわからない」ということは往々にしてあります。つねに根拠を求めて生きてきた残念な人たちは、そのシンプルな事実を体感的に知りません。安全地帯のなかで生きていく分にはそれでもいいですが、ペナルティエリア内では彼らの存在はほとんど無価値になります。
これはひどいな。コピペするときに抵抗なかったの?
ある主張の根拠を求めるときに、「根拠なんて新しいこと始めるときには役に立たないんだぜ!」と大見得切ってもそれは、話を誤魔化した、というんだよ。しかも勢いで。
それはそうだけど、「主張にも主張の否定にも根拠なんていらない」ということには全然ならないよね。まるで違う話だ。
しかし論理的なものではなく事実問題について考えたとき、どんな主張も仮定なしに完全に根拠づけることはできませんたとえば物理学でも実験によって理論が正しいかどうかを確かめるのですが、すべての状況で実験をすることができない以上、物理学の理論が普遍的だと言う主張には穴があります。
つまり物理学のような確実性の高いものでさえ、根拠を求めつづければ答えることができないところが出てくるわけですから、僕たちが適切に議論するためにはどの程度の範囲で根拠を求めるかという視点が必要になります。根拠を求めるという運動はどこかで打ち止めされなければいけません。
仮定からの論理的帰結という方法がある以上、多くの場合「根拠がない」ということから主張を真っ向から否定することは不適切だと思います。これができるのは、相手が「これは無条件に正しい主張だ」と語ったときに限られると思います。この場合は無条件ということなので、仮定というものを自ら放棄しているので、仮定からの論理的帰結が使えない。したがって確実性を持たせるには根拠を示すという道しかないわけですから、根拠がないという批判は的を射ていると言えるわけです。